弟を尊敬する理由のもう一つが、人間性の高さです。人間性の高さと言ってもいろいろですが、大きく分けると謙虚、一日をど真剣に生きること、ギブアンドギブを素で行っているところ=慈愛の精神、この3つでしょうか?
彼は子供の頃から同級生や先生や周りの大人にちやほやされてきましたが、私が知るかぎり一度も自慢をしたことがありません。そして、弟よりも勉強も運動もできない兄を一度もバカにしたりしたこともありません。私が環境オタクの仙人生活を送っていたときの唯一の理解者と言ってもよかったと思います。バカにするどころか、白い目で見ていた家族を前に、私と一緒に地球に優しい暮らしを実践してくれました。そして、私のまっすぐな生き方を認めてくれていたようです。本当に謙虚で優しい男でした。
また、彼は中学生の頃から英語や数学などの勉強以外にも、哲学書をよく読んでいました。彼が好んで読んでいたのは、ニーチェ、ハイデッガー、サルトル、ショーペンハウアー、ウィトゲンシュタイン・・・人はなぜ生きるのか、どう生きるべきなのかをこの頃から真剣に思索していたようです。ある日、私が気になって聞いてみました。
「人はどう生きるべきなんだろうね?」
「結局、今を一生懸命生きることしかないよ。」
私が見ている限り、確かに彼は一日一日を完結させて充実させて生きていたようです。
『医は仁術』という言葉があります。手元にある辞書を引くと、「仁術とは損得を度外視し、奉仕的に治療することが期待される医道の称。」とあります。損と得の道があれば、損の道をあえて選ぶという、これがまさしくギブアンドギブの道なんだなと感心させられます。
お盆休みや年末年始になると、息子と孫の顔が見たくて、群馬の実家の両親は私の弟へ「帰ってきなさい」と電話をかけます。ところが、弟は「ちょっと危篤の患者さんがいるから帰れないよ。また落ち着いたら帰るよ。」と言って断るケースがとても多いのです。普通、自分の担当の患者さんが危険な状態だとつきっきりにしなくてはいけないものなのか?と聞くとそんなことはないと答えます。彼の性格上、そういう人を放っておいて帰れないのです。才におぼれることなく徳を重んじる、こんな泥臭く人間くさい弟が私は大好きです。
彼は、生命に対する畏敬の念や、人に対する慈愛の念、そういうものが人一倍強いのではないでしょうか。時々、見知らぬおじいちゃん・おばあちゃんが、彼の顔を見ると「仏が宿るようだ」とおっしゃることがあります。確かに、お年寄りに接している彼の顔を見ているとそんな表現がぴったりなのかもしれないとうなずけてしまいます。
なんだか弟礼賛のようになってしまいましたが、私の今のところのメンターは彼のようです。本当に変な話ですが、中学生の頃から常に弟の背中を見て、「人の道に反したことをしてはいけない」と自戒しながら生きてきたように思います。そしてこれからも世界は違いますが、会社経営という面で一歩一歩成長していきたいと切に思います。